Like a bird, like a cat, like a fish?

映画・落語・写真・ダイビングを中心としたお気楽人生ブログです。

8.11ということで、東日本大震災から5カ月たった。

一カ月後は、9.11同時多発テロから10周年だ。
8.6、8.9のヒロシマナガサキ、8.15の終戦記念日と歴史を振り返る夏でもある。
『清作の妻』戦争と文学@神保町シアター 
増村保造監督作品だが脚本の新藤兼人の作品を観ているようだった。
日露戦争前後の時代背景。
貧しさゆえに大旦那(殿山泰司)の妾となったお兼(若尾文子)は、大旦那に可愛がられ何不自由ない生活を送っているが、大旦那を受け入れない。
大旦那があっけなく死んで、千円という遺産を受け取り、大旦那の家から縁を切り、生まれ故郷に帰ってくる。
ここからが本題に入っていく。
帰った村は、妾の家だということで、仲間はずれ、そのくせ美人のお兼の色香に明け透けな噂話をする。
この差別意識むき出しの村社会とお兼の生き方がこの作品の本題である。
富国強兵で男は兵に駆り出され、戦場では日露大決戦が迫っている。
お国のためと言いながら、徴兵されたら死は覚悟の上、残された遺族は生活のすべをなくすという、大義と不安が疑心暗鬼となって村社会が成り立っているのが良く判る。
村一番の模範青年の清作(田村高廣)は、軍隊生活でも活躍して村に帰ってくる。
軍隊生活での報奨金をつぎ込んで鐘を造り、毎朝一番の鐘を鳴らして、村の惰眠から眼を覚まさせる。
誰からも一目が置かれる清作だが、お兼だけは鐘を鳴らしても起きようとしない。
ただ、お兼の母親が亡くなり誰も葬儀に関わらない状況を、清作の意向で無事に葬儀が終えることが出来た。
それをきっかけに、お兼にとっても清作にとってもは、お互いに離れられない存在となる。
そして、村人、清作の家族誰もが反対するなかで、お兼は清作の妻となる。
やがて、戦況は厳しくなり、清作や村の男たちは、戦場に駆り出される。
お兼は、清作と離れ離れになりたくない、ましてや清作が戦死することなど認めたくない。
清作が戦場の軽い怪我で一時帰宅した時に、村人が「もっと重い傷であれば再び戦場に駆り出されることはないのにな」という声を耳にする。
そこでお兼は、出征の時に清作に衝撃の傷害を犯す。
お兼は、その場で取り押さえられて、村人たちに袋だたきにあわされ、傷害罪で刑務所に送られる
清作は、お兼の行動を許しがたく、怒りに駆られるが、その清作も憲兵が意図的に徴兵逃れをしたか疑う。
そのことで清作は、村人からも卑怯者のレッテルが貼られ、非国民として石をもって追われる。
清作は、お兼の生家で暮らすことにするが、そこに2年の刑期を終えて、お兼が帰っている。
お兼は、清作との生活総てであって、これからは清作に何をされてもいい、殺して欲しいと哀願する。
清作は、お兼の首に手をかけるが、やつれたお兼の身体に触れ、すべてを許す。
そして、「この土地から去ったらわしらの負けだ、ここで生きていくのだ!」と決意する。
翌日から、土地にクワを入れる清作の妻。(完)


反戦映画といえば、まぎれもない反戦映画であるが、日本の構図を村社会に置き換えたところが見どころ。
究極の愛情はエゴであり、盲目になって見えなかったものが見えてくるなどシナリオ構造が見事に映像化されている。
異分子は排除し徹底差別するが、差別される側にならなければ、その酷さは決して判らない。
村一番の模範青年だった清作が鐘を投げ捨てるところが象徴的。
監督:増村保造 原作:吉田絃二郎 脚本:新藤兼人 撮影:秋野友宏 音楽:山内正
出演:若尾文子田村高廣殿山泰司成田三樹夫佐々木孝丸 1965/大映東京(93分)

清作の妻 [DVD]

清作の妻 [DVD]

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ
にほんブログ村
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
にほんブログ村
にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村