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撮影監督 高村倉太郎

撮影監督 高村倉太郎氏逝去
高村倉太郎氏(たかむら・くらたろう=映画撮影監督)21日、急性循環不全で死去。84歳。告別式は23日午後1時、東京都江東区亀戸4の24の1東覚寺。連絡先は、新宿区新宿1の25の14日本映画撮影監督協会。喪主は長男、一郎氏。
 日活で、「幕末太陽傳」「錆びたナイフ」などの撮影監督を務めた。
(2005年11月21日21時57分 読売新聞)

PROFILE
作品歴/「洲崎パラダイス 赤信号」(’56)「幕末太陽伝」(’57)などの川島雄三監督とコンビを組み9作品担当。「俺は待ってるぜ」(’57)「錆びたナイフ」(’58)「夜霧のブルース」(’63)など石原裕次郎主演作品。「南国土佐を後にして」(’59)「ギターを持った渡り鳥」(’59)などの小林旭主演作品。「男の紋章シリーズ」(’64)などの高橋英樹主演作品。「無頼シリーズ」(’68)で渡哲也主演作品など多数担当する。この間、西河克己小林正樹今村昌平蔵原惟繕松尾昭典、小沢啓一、澤田幸弘ら、9人の監督昇進第1回作品をそれぞれ担当している。担当作品は、劇場用映画約140本、テレビ映画約200本、短編、CM作品45本。
受賞歴/日本映画テレビ技術協会春木賞(’93)山路ふみ子映画功労賞(’94)勲四等瑞宝章(’93)
日本映画撮影監督協会名誉会長 日活芸術学院学院長

松竹から撮影再開をした日活撮影所(調布市)に移り、日活映画の文芸作品、無国籍アクション等多数の作品を撮影した名キャメラマンの高村倉太郎さんが亡くなった。日本映画の全盛期、華やかなりし黎明期の日活撮影所を語れるひとがまた去り、記憶は伝説となっていく。人格者としても素晴らしく、お年を召していても頭脳明晰、教育者として映画人の後継者育成、業界環境の改善など尽力されていた。
私の最も尊敬するマスターだ。−合掌−
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