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「小さいおうち」TOHOシネマズ府中

山田洋次監督作品らしく中高齢年齢者層の観客が驚くほど多かった。
山田洋次作品に対するこの世代の信頼度がうかがえる。
逆に松たか子妻夫木聡を配しても、若い世代は関心がないということでもあるかな。
映画は、倍賞千恵子のおばあちゃんが若かりし日に山形から上京し、東京郊外のハイカラモダンな小さい家の女中として過ごした戦前・戦中の日本を描くというものである。
おばあちゃんが自叙伝の執筆をして、大学生の妻夫木がそれを読むという形式で始まり、おばあちゃんの記述に大学生の素朴な突っ込みが入る。
「戦争に向かって行く時代なのに楽しい生活であるのはおかしい?」という疑問である。
これが山田洋次が描きたかったことであるのであろう。
映画の中では、(後に中止となった)東京オリンピックが開催されることで、これから日本が発展していくぞと喜ぶ家庭が描かれている。
戦争に向かって行く時は、日本は拡大発展していくものと信じて、国民全体が高揚していたではないかということである。
日本は負けないぞという今の風潮に対して、戦前の国家と国民が高揚した意識を重ねることで、日本の国民性の怪しさを描く。
庶民派たる山田洋次監督の面目躍如である。


さて作品としてはどうであったか。
倍賞千恵子の若き日を黒木華という女優が女中として演じている。
家政婦は見たではなく、女中は見たということであるが、この女中さんの目線で物語は進む。
やさしい家庭の妻(松たか子)と夫の部下(吉岡秀隆)の不倫騒動の目撃者であることがこの話の核心である。
そして女中さんはある行動を取る。それは何であったか・・・
女中さんは、部下の男を奥様以上に愛していたのか。
女中さんは、この家庭が崩壊してしまい自分の居場所がなくなることを恐れていたのか。
はたまた奥様を愛していて部下の男に取られることを嫉妬したのか。
この主人公の行動と心理がよくわからないのだ。
見方によっては、とても艶やかな展開にもなったのだが、そうはならなかった。
その要因のひとつとして、吉岡秀隆が寅さんの甥っ子が成長したようで、優しい男であるが魅力的には思えない。

終盤になって、戦争に行った男の戦後もわかり、夫婦の生き延びた息子の消息も判明するのだが、
おばあちゃんの一生に秘めた出来ごとであるなら、なぜ生前に二人の消息を知ろうとしなかったのか。
山田洋次の作品としてさすがだなと思える半面、期待以上のものを発見することができなかった。