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映画・落語・写真・ダイビングを中心としたお気楽人生ブログです。

『北のカナリアたち』 丸の内TOEI

東映60周年記念作品で湊かなえの原案による吉永小百合主演映画という東映としては全うな勝負作をだした。
北の果ての分校を舞台とした二十四の瞳のようなやさしい先生(吉永小百合)が、ある事件をきっかけに分校を去る。
それから20年後、教え子が殺人容疑者として行方不明になっているという情報を聞き、吉永先生は教え子たちを尋ねる。
教え子たちは先生が去った出来事に、それぞれの心の傷を負っていたことを知る。
といったミステリー仕立てで、散り散りになった教え子たちが先生のもとに集まり、20年も抱えてきたわだかまりが氷解していく。
一流の映画人のスタッフと俳優陣が集結してつくられた見ごたえのある作品になっている。
とくに森山未來の号泣には引きづられた〜

だけれど・・・
吉永小百合先生には、本当に瑕疵がなかったのか?
映画の脚本、演出にも吉永先生に罪がないような捉え方をしている。
これって本当かな?
子どもには理解できない大人の世界があって、大人になってようやく心情が理解できたというのが深いところにあるのだが。
国民的スターの吉永小百合では無理なことなのか、これは高倉健にも当てはまる日本映画の限界。