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映画・落語・写真・ダイビングを中心としたお気楽人生ブログです。

『天国の階段』京橋フィルムセンター

第34回PFFぴあフィルムフェスティバルがフィルムセンターで開催された。
「映画のルックを浴びてみる!」と題した、製作&監督コンビ、マイケル・パウエルエメリック・プレスバーガー、そして、撮影のジャック・カーディフの3名に焦点をあてる企画がある。
〜手軽で高度なビデオカメラの登場で、音が、画がそれなりに撮れる昨今。
もうひとふんばり、映画のルックに力を注いでみませんか?〜
富士フィルムが国産の映画フィルムの生産を中止し、プロもアマもデジタル映像でしかこれから映画がつくれない時代になった今、PFFが主張するのがなんとも皮肉か?
東京国立近代美術館フィルムセンターも“フィルムセンター”という看板はかわるのであろうか?
さて、今回上映されるパウエル=プレスバーガー共同監督の代表作『天国の階段』『赤い靴』『黒水仙』はいずれも昔観た作品である。(TV放送かリバイバル上映である)
3作品とも普通の映画ではない。
奇妙で不思議な感覚を持った作品であることを記憶した。
今回久しぶりに『天国の階段』で鑑賞したが、やはり不思議なアメージングワールドであった。
まずオープニングは宇宙の果てから地球を紹介する。
これは『コンタクト』(R・ゼメキス監督)の逆パーターンだ。
そういえば『素晴らしき哉、人生!』(F・キャプラ監督)のオープニングとも類似しているか。
地球では第二次世界大戦の終盤頃、主人公のデビット・ニーヴンは墜落寸前の爆撃機のパイロットで、地上の管制塔職員(後の恋人キム・ハンター)にお別れの無線を交わす。
これは『世にも不思議なアメイジングストーリー」の一話(S・スピルパーク監督篇)にあった。
なぜかパラシュートなしで脱出し助かった主人公。天の采配の手違いで天国行きが免れたらしい。
天国の入り口で待つ戦友、モノクロの天国のシーン。これは言わずと知れた『天国から来たチャンピオン」(W・ベィテイ監督・但しもともと他のリメイク作品)だ。
天国は賑わっているが、1946年の作品なので戦争によって、ここが賑わっているということがリアルに伝わる。
原題は「A MATTER OF LIFE AND DEATE」(生と死の問題)で当時はリアルな問題だったことを推察する。
天使が地球に降りると有名なセリフを言う。
「地上はいいな。テクニカラーだ!」
天使は歩くが地上の人間は停止したままだ。
古典的な演出だが、天使と主人公が手術室のガラス越しのドアを通り抜けるところは、『ターミネーター2』(J・キャメロン監督)のT3000が鉄格子を抜けるシーンと同じ場面でオッと観客がどよめいた。ドアを開ける必要がないからだ。
一番不思議な印象が残っているのは、恋人が助けを求めにいった軍医の家。
この軍医は、趣味で暗室のような部屋を作り、天井から家の周りをカメラのようなもので捉えて、その映像が暗室の丸いテーブルに映し出される。
これはどのようなもので操作されて、投影されているのかが全く説明されていない。
だが、この作品は天の目で地上の人間の様子をみるというテーマには則している。
天国では、主人公がなぜ天国に召されなかったかの大裁判が始まる。
かき割りはあるにしても、大掛かりなセットと様々な人種を揃えたモブシーンは映画のダイナミックで見ごたえあり。(さすがに日本人はでてこなかった)
裁判は佳境に入り、裁判官と陪審員たちが、実地検分として長ーいエスカレーターに乗って主人公が手術中の病室にやってくる。
恋人が主人公への無償の愛で裁判は勝利する。
これから50年は生きられることになるのだ。
映画を作るには、オリジナリティーとイマジネーションを持っているもののみに、その資格ありということを感じた。
だから、この映画の後世への影響を文中に触れた。