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〜裕次郎の夢〜『栄光への5000キロ』『黒部の太陽』 東京国際フォーラム

特別のイベント上映以外は公開していなかった石原プロモーション所蔵の『栄光への5000キロ』と『黒部の太陽』が、
石原裕次郎没後25年の今年に全国縦断チャリティ上映会を行うことになった。
シネコンなどで全国一斉のリバイバル上映ではなく全国150個所でのイベント上映になる。
劇場公開であれば一過性の映画界の話題だけで終わってしまうから、この方が賢い方法だ。
フィルム本数のコストも抑えられるし、スポンサーには地方のケーブルテレビ局がついているのでPRもぬかりない。
上映後の2013年にはパッケージ化もされてフィナーレということなのだろうか。
おまけに先週の3月16日17日には、NHK-BSプレミアムで両作品の特別編(短縮版)も放送された。
すっかり裕次郎ファンは石原プロの手の内に踊らされている。

http://www.ch-ginga.jp/special/yujiro.html

さて、トップの上映会である東京国際フォーラムに鑑賞に臨んだ。
2000人も入るホールが、23日・24日の二日間4回上映で各回とも満席となり『黒部の太陽』は1回追加上映となった。


『栄光への5000キロ』は、カーレーサー五代高行という主人公扮する石原裕次郎のワンマン映画である。
浅丘ルリ子三船敏郎仲代達矢伊丹十三、アラン・キュニィとか豪華キャストなのだが、ほとんど映画の本筋にはつながっていない。
浅丘ルリ子の役があまりにも大時代的な耐える女のキャラクターで、観ていて疲れるのだが、美しさは際立っている。
この映画の本筋は、後半のサファリラリーのレースドラマであろう。
ここでの演出と撮影、録音、効果、編集は日本映画の一流スタッフが創り上げた最上のレース映画として今見ても見事な映画であった。
この作品は1969年の作品だが、公開時は渋谷パンテオンの大劇場に親に連れられて観ていた。
指定席で観たと記憶しており公開時も特別な作品であった。
子ども心にも、サファリラリーのスタート時の浅丘ルリ子の登場シーンと後半の鹿のシーンは記憶に焼き付いていた。


黒部の太陽』は初めて観た。
映画製作の苦労話はもはや伝説化しており、熊井啓監督の作品であることも楽しみであった。
ノーカット全長版の公開も44年振りということでいわば解禁上映会であった。
観賞終了、一番に感じたことは石原プロ団結の体育会系ルーツを確認したことか。
確かに映画自体も難工事だったであろう。
3時間ほとんどトンネル掘りであり、セットかロケかもわからぬほどのトンネル内での群像シーンの密度濃さに今の時代では描けない粘り強さを感じた。
三船敏郎に対しては、かなり敬意を込めて描かれていた。三船プロの協力なしには成立しなかった映画だからということもあったのだろう。
それに対して石原裕次郎の役柄は意外だった。
世紀の大工事の下請けの親方の息子役で、親父である辰巳柳太郎の仕事や生き方にことごとく対立する。
辰巳柳太郎は、戦争中の電力事業として黒部第三ダムに親方として関わり、労働者を国策のもとに酷使した過去がある。
だから映画はダム建設でありながら、黒部の太陽の光を目指すトンネル掘り二代の話なのだった。
親父の前近代的な仕事に反発するも、難工事のなかで裕次郎は、下請けの労働者から親父と同じ搾取者としての罵声を浴びることにもなる。
また、実の親子である宇野重吉と寺尾聡が親子二代のトンネル掘りで息子が犠牲になるエピソードもある。
大工事を支えた下請け企業の戦中、戦後史もしっかり描かれており、さすが社会派監督らしい。
様々な困難はダムが完成しても万々歳とは描かず、この間に犠牲としてきたものの苦みが伝わってくる。
映画の終了時に黒部ダムのパンフレットをもらったので見たところ、黒部第四ダムの完成には171人の犠牲者があったと記載されていた。
戦後の建設事業でこんな犠牲があってもいいものかと思った。
現在、福島第一原発の事故による苦難のなかで、同じ電力事情で歴史は繰り返すのかと思わざるを得ない。
映画の終了後には、裕次郎カレンダーとドレッシングと焼き肉のたれのプレゼントあり。
スポンサーのご厚意を取り付けたということでありますが、この大盤振る舞いは石原プロらしい。

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